12月28日、私たちの高千穂線は全線廃止を迎えます。そして同日をもって廃止区間がそれぞれ高千穂、日之影の2町に譲り渡され、町民の財産となります。私たち高千穂あまてらす鉄道(株)は、これまで訴えてきたこと(鉄道公園の実現)を、高千穂町内のみならず広く町外の方々の理解と協力を得ながら、これからも進めていきたいと考えています。
私は中学3年のとき、高千穂駅の開通を迎えました。それから平成17年9月に台風が来るまで、たびたび高千穂線に乗ってきました。高千穂高校生になってから、列車に乗らなくても、ときどき高千穂駅に行きました。レールに耳をあて、音を聞きながら、この線路は東京までつながっているんだ、この線路に乗っかれば東京に行けるんだ、と田舎の少年らしく希望に胸をふくらませました。
廃止が決まったからといって、肩を落とすことはありません。すでに全線廃止は日程にのぼっていたことであり、今日からほんとうの意味での地域の力が発揮されなければならないと思います。
イギリスの湖水地方では、レールの幅を40センチに縮小して、小さな蒸気機関車をあつらえて、地元の人びとが走らせています。線路はひとつではありません。いくつもあります。そこには世界中から、たくさんの観光客が来ています。
日本一の赤字ローカル線と言われた北海道の美深では、廃止後13年もたって、地元の人たちが木製の4人乗りのトロッコをつくり、いまでは20輌あまりの車輌が走っています。地域おこしの目玉になっています。
日之影町は譲渡された区間を公園化して活用しようと、町ぐるみで動きはじめています。高千穂町には役場に跡地活用検討委員会ができ、町議会にも町議全員参加の特別委員会が設けられ、どのような活用が可能かの検討がはじまっています。
私たち高千穂あまてらす鉄道も、平成20年新春から、公園化の実現についてさまざまなイベントを通じて皆様に訴えてまいりました。役場の検討委員会にも事業概要(案)をすでに説明し、2009年新春には町議会の特別委員会にも説明にあがる予定です。特別委員会への説明が終わったら、皆様にも広く知っていただこうと考えています。
この事業概要(案)は、ささやかな規模のものです。できることから始めようと、最低限の資金と人数と手間を提案するものです。現段階では高千穂・天岩戸駅間の2.1㎞に遊具程度の乗り物さえ走らせられないとの判断があるようなので、それなら高千穂駅構内の人の目が届く範囲内での走行ぐらいならできないかと、考えているところです。
なんといっても最大の魅力は、東洋一の高さを誇る高千穂鉄橋ですが、この活用については、残念ながら行政は消極的かもしれません。将来の撤去費用を積み立てる基金を創設し、それによって撤去を行おうというのが現在の考えのようです。
しかし鉄道記念公園の目玉となるものは、あの断崖絶壁の上に架けられた長大な鉄橋ということは疑いをいれません。撤去より活用の途を追求したい。車輌を走らせられないのなら、歩いて渡ってもらえないか。この山岳地帯にこのような鉄橋を架けた先人達の一大事業を後世に伝えるために、たとえば「鉄道遺産」として保存のための補助が得られないか。
高千穂駅や天岩戸駅構内の活用についてもいろいろと考えていますが、この鉄道記念公園の実現は、農林商工すべての業種にたずさわる方々の力を結集しなければできません。
世界恐慌の状況すら呈してきた現在、いままでのような既成の発想や考え方では人は生き抜いていけなくなりました。しかし私たちの地域には、貧しくても苦しくても山と渓谷に腹をこすりつけて生き抜いてきた知恵と経験があります。ねばり強い草の根の、しぶとさがあります。それは自助と互助の精神にあらわれています。安易に多数決に依りかからぬ「寄り合いの精神」が、それではないかと思います。これを「草魂」と呼びます。
ボールはできるだけ遠いところへ投げたい。近くに投げてしまえば、そこへ行った気になって、探しに行こうとしないから。志ひとつで生きろ、とは言いません。ですが、そこへ行きたいと願わなければ、はじめの一歩さえ踏み出せないのも事実でしょう。
すぐにできるとは思いません。2年、3年かかるかもしれません。耐えるときは耐え、辛抱し、しかし、できることはすぐにする。投げたボールの方角を見失わないように、自分たちの願望はどこにあるのか、しっかりと見据えながら。
私たちは支援者の皆様とともに、また遠く見守ってくださる皆様とともに、新しい地平を切り拓いていきたいと思います。高千穂線は失われましたが、12月23日、高千穂駅に集まってくださった方々の高千穂線への感謝のこころは、きっとこれから私たちにつづいてくれるであろう子孫たちに伝わったと思います。
どうか今後とも私たちの熱望と努力にご理解いただき、さらなるご支援をいただきたいと、心からお願い申しあげます。